2016年7月24日日曜日

アメリカの事情

前記事で、人種差別に関連する記事を書きましたが…
アメリカの黒人差別も恐ろしいな…というネット記事を見つけました。


 「なんでだ?」という気持ちである。

人間らしい行動すること自体が、特権もつ白人側には腹立つのだろうか?


母親から聞いたブラジル話では、当時ブラジルの歌手達を守る意味でアメリカ音楽(ポピュラー)の進出を反対した時期があったとのこと(産業保護の観点から)。

それでもブラジルにアメリカ音楽は入ってきましたが…ブラジルの白人はビートルズを聴き、ブラジル黒人はマイケル・ジャクソンを聴いていた。らしい(母の観察してた範囲では)。

まぁ人種の分断社会は仕方ないよなー…と思うエピソードではあります。


ジョン・レノン氏がオノ・ヨーコ氏と結婚した時は、ブラジルでもまぁ反感的感情はすごかったようです。

オノ・ヨーコ氏は、名門の超お嬢様ではあるが…
それでも白人スターは白人世界の宝物であるから、色々と白人側にはつらいものがあったんだろうな…と思います。

ジョン・レノン氏といえば、音楽とは全く無関係なんですが…
母の結婚前のお話でいつも聞かされていたネタがあります。


ブラジル時代の母には、ジョン・レノンさんに似た白人男性友人がいた(彼をHさんとする)。
黄色人種の母に対し、お兄さんの様に優しくよい方だったようです。

母とは、ボーイフレンドなんじゃないか?と聞いてて感じるんですが…
「H氏は優しくて白人女性皆から人気で狙われていたから、私は告白もなにもしなかった」
と、母は臆病な言い訳を今でもしたりします。

私は「はぁ?人気がある男性こそが立派な男性なんだからアタックすりゃいいじゃん」と
思うんですが、日系人親戚からの大反対の恐れや白人の攻撃からの恐れからの逃げだと
母をとりあえず理解してます。

そして母は、お見合いでとんでもない男性と結婚することになります(私の父)。
このことがそのH氏の話を、母がよく私にする経緯になったのです。

同じ人種と結婚したのに、ものすごい不幸になりましたから、
夫(私の父)の愚痴ついでに、あったかもしれなかった幸せ(H氏のこと)を幼いころから私に言うようになりました。

田舎の家長父制の強制結婚みたいな感じですから、母は被害者面の弁はものすごかった。


母の話と比べると、一時話題なった海外出身の演歌歌手のジェロさんの祖母を思い出します。
ジェロさんは、クォーターの方です(私はこういう表現が日本特有で好きでないが)。

ジェロさんは母方の祖母が日本人で、祖父様と祖母様は人種違いの結婚ですがお幸せそうです。
そこに私は衝撃を受けた。

結婚の失敗なんてどこにも転がってる話ですが…
母の話を聞くと、思いきって人種の壁を破ってた方が幸せになっていたんじゃないか?と
とても切なく苦しくなります。

同じ人種の人格問題ある方より、違う人種の優しい方のがいいに決まっている。

国際結婚だとか人種違いの結婚で、悩んでいる方が居たら…是非私の母のことを参考にして欲しいですね。

2016年7月19日火曜日

リオ五輪に向けて…奴隷のダンス、そして日系人

S女×M男のSMでは、格闘技プレイ系のマニアな方もいるだろう。

私は運動神経が無く、しても散歩・ラジオ体操・ストレッチの類の健康維持系しかしない。

格闘技SMプレイにはほぼ興味が無いのだが…
リオ五輪が近いということで、ブラジルの格闘技「カポエイラ」について書きたいと思う。

カポエイラは奴隷発祥の格闘技である。


私は実は、ブラジル出身である。

ブラジル育ちの親から聞かされてきたカポエイラの話はとても身近であり、哀しみの歴史から生まれたことに対して切ない気持ちを抱いていた。

格闘技は基本的に、哀しい歴史から生まれることが多いといわれる。


カポエイラは、黒人奴隷から生まれた(wiki)。

その強い特徴は、ブレークダンスの様に見える部分だ。

この個性こそがカポエイラの持つ切ない部分であり、親から話を聞いて私は強く胸を打たれていた。

それは主(白人)から、身体を鍛えていることを隠すため…見破られないためにダンスに擬態していたのがカポエイラが生まれた背景だ。

過酷な立場である、奴隷の反逆・防衛の策。

格闘技の発祥・背景話にはよくある話なのだろうが…私はとても切なく感じた。


私の母は自らの、ブラジル社会の中で育った当時のことを、子どもの頃から私によく話した。

人種差別等…の辛い話なんだが、それ等は私に強い影響を与えた。

わかりやすい差別はしなくても無意識レベルで人種間には序列があること、白人の中にも序列があること…を、教わった。


極東アジア系(日本人等)には意識的・無意識的に、黒人を下に見てる方もいるだろう。

白人と黒人の歴史的関わりは長く、それと比べて短いアジア系が、
白人支配国での無意識的人種序列の最下層に近い存在であることを知らない方がいるな……
と私は日本で育ってきて感じてきた。

「日本人って、黒人を下に見てるなぁ…。世界基準知らないんだ?」と正直思っていた。

この無意識序列は、新大陸移民国アメリカでもあるようだ。



この部分を知っている私は、人種序列の「下」の存在である黒人奴隷と日系人は近く似た様な立場なので…
カポエイラの話を思うと強く胸を打たれるのだと思う。


「同族意識」的共感な訳だ。


リオ五輪でブラジルは注目されている。


名誉白人意識の純粋な日本人には不快かもしれないが…

とある日系ブラジル家系の日本人から見た「カポエイラ」に対する目線もふまえて、リオ五輪そしてブラジルを眺めて欲しいと個人的に思う。


2016年7月9日土曜日

それは「排泄」か「コミュニケーション」か

「それじゃあ、俺の身体使った自慰だよ」

…これは、過去記事『S女から見た、とあるノーマル男性』での元カレから私が言われた言葉である。

私は彼から性的苦痛も味わったが…、彼の経験上からの鋭い指摘には今も性愛を考える面で思い返すことがある。


元カレは、青少年時代からノーマル性欲が大変強いタイプだったらしい。

実際「性欲溜まるとイライラする」と発言をしていた。

女性でもそんなタイプの方がいるようで、私は淡白だなぁ…と自覚したりする。


男性は、若い時は盛りのついた状態だろうことは察する。

だがその時から、セックスは「ちゃんとしたコミュニケーションなのか?」が、今後の性愛面で重要なポイントかもしれない。
(※性欲が大変強い方だけに当てはまるのかもしれないが)

元カレは「若い時は、ただの排泄…トイレみたいなセックスしてて虚しかった…」と言っていた。

【注】元カレはオジサン。

彼の持つ背景から、「当時、何かの痛みから逃げたかったのかな?」と私は推測したりしたが…

事実『過去、自慰状態のセックスをしていた(も、やっていた)』と彼の発言を解釈している。

フェミニズム用語だと「(女性は)性欲処理器にされている」状態だ。

排泄…性欲処理なだけの自慰的な性交渉。

彼は若い時の自らの経験から、私を観察し記事冒頭の言葉を投げかけたんだろう。

当時を思い返すと、私はそれを否定できない。
実際、難しいな…と感じていた。

『性欲と性交欲は違う』という、大物フェミニスト・上野千鶴子先生の言葉も思い返される。


スキンシップ(ノーマル)は、究極のコミュニケーションと表現される。


それは、SMでも同じだろう。

鞭・蝋燭等も、特殊性愛術の愛撫であって暴力ではない。


技術や相性も重要だといわれるが…
結局のところ『心』が大事といわれる、SMの深さに初心者の私は考えさせられてしまう。

「サービスマゾ男性に甘え過ぎてないか」と、ふと…思ったりする。

ただ、言えるのは…
「単なる欲望の排泄みたいなSMは私はしない」と決めた。

友愛感情感じる方には、相性を相手に合わせても私はプレイ後は充実感でご機嫌でいられることに気づいた。


『SMはコミュニケーション』だということは、多分このことだろう…と今のところ納得している。


2016年7月8日金曜日

何故、こうなったのか…

過去の新書を現時点で読むと(思い返すと)、改めて驚く。

ちゃんとその内容が現実化されている。
「えっ?!ぅえぇぇぇえーーーーーー?!」である。

識者の推測は当たるなぁ…と、思うばかりだ。
(というより、その鋭い観察眼は萌芽を捉えていた)

サミュエル・ジョンソンの『愛国心は、ならず者の最後の避難場所である』という格言を、
私は「これ、本当だな…」と変に感動している。
確かに目の前で歴史はつくられている。

『下流社会』の三浦展氏は、『無印日本 20世紀消費社会の終焉』で堤清二氏と対談しているが、
「ネオナチが出てくるね…」と
そこで指摘していた赤木智弘氏の『希望は戦争』論争から、ジワリジワリ時間かけて戦争が身近になってしまった…。

「何故、こうなった?」

第1次安倍内閣の時から危険性をわかっておけば…と、自分の無知さを大後悔したりした。
しかし、あの5年前の原発事故で結構な人がB層から目覚めたようにも思う。





 私が勝手にLGBTのスターと見てる安冨歩先生…。


私は安冨先生の著書に直筆サインを頂いてます。
当時(2014年12月)は、まだ男性臭する女装だったように感じるけど、
本当の女性に変化したなぁ…と思います。

安冨先生に興味持ったのは、S女として何か“ムラッ”とくるものが当時あった…(苦笑)。
パートナーの深尾葉子氏の本も面白い。
















SMブログっぽさが過去の安冨先生へのミーハー劣情のみで、すみません…(汗)。

2016年7月4日月曜日

男性社会に於けるマイノリティーの存在

ここ数年でLGBTの人達が注目され存在感を増してきている。

私もバイだし、個人的に色々と思うことがあったりする。


それは、彼等を単にビジネスの新たな客層としてしか見てないんじゃないか?みたいな…
『苛立ち』である。

男性同性愛のエリートカップルだと、そのままパワーカップルとなり…
各種消費欲は旺盛だろう。

ただ単に、潜在的に存在したブルーオーシャンとして彼等を見る経済的利用なだけなら…
なんだかムカムカする。

マツコ・デラックス氏が某誌面で指摘してた通りだな、と思う。


確かにマイノリティーが生きやすくなることは重要だが、結局は真に寄り添ってないマジョリティ側からの経済・政治利用目的のあざとい目線には斜に構えたくなるのだ。


そしてメディア業界は、男性社会。

彼等が過去扱ってきたLGBTは、
基本はゲイ男性と男性から女性のトランスジェンダーだ。

これは、ヘテロ男性側からしたら恐れることがない方達なようだ。

レズビアンや女性から男性のトランスジェンダーは、恐れがあるらしい。

恐れとは、感情が揺さぶられる意味でだ。


美しく綺麗なレズビアン女性の存在は、そのまま『男性の所有(モノ)にならない』存在になる。

レズビアンは男性向けエロスで消費されてきているが、それ以外でのメディア露出はショックを与える。


実は私は、イケメンなゲイ男性がテレビ出演しているのを見てショックを受けてきた。
こうだ↓。

「え?こんなイケメンがゲイだと、女性どうするの?女性余るやん…(泣)」というショックだ。

(※これは表面的なミーハー心理反応であって、彼等の個人幸福は願っている)


…これを、男性側はしたくないらしい。


そのまま「え?こんな美人がレズビアンだと男性はどうなんだ?大事な美人減るじゃないか…」となるからだ。


そして、男性から女性になるトランスジェンダーは、ある意味『優位的存在から劣位的存在に下がる存在』だ。

しかし、女性から男性のトランスジェンダーは『劣位的存在から優位的存在に上がってきた存在』として…
何かを揺さぶるらしい。

女性が男性になるのは、なにやらムカつくものがあると。

これは小島慶子氏あたりが言っていた様に思う(彼女はマッチョ(マチズモ?)なメディア業界で働いてきている)。


この様な無意識の空気を私はSM界で感じる時がある。

それは『女性の真性Sはいない』という謎の推論(断定?)だ。

これはSM界にある男性社会の大きな壁な様に思う。

『女のサディストは居ない』

それを何故、男…S男側が言うか?

男性店長のSMバーで、彼(S男)もそう言っていた。

「なんでだろ?」と思ってきたが…
メディア業界での男性社会の同じ法則なんだ…と、どうにか今のところ推測・理解している。


これは大変恐ろしいから、「否認」や「抵抗」の心理反応してるんだろう…と。


(M)男に対し、去勢願望を抱き、切り刻むことや火傷させることで笑うS女の存在は心底恐ろしいと思われる。

他の例では、ノーマル男性(やや~まぁまぁS寄り)にM男向け動画を見せると、怒るらしい(S男もそうだろう)。

『男が女にボコボコにされていてムカつく。』と。


以前、私はバイト先の男性先輩(ノーマル)にとある女王様の画像を見せたら、似た反応してきた。

「この図はあり得ない。こっちが鞭持つ方だと」
彼の感情揺さぶられた様子は今でもはっきり覚えている。
苛つきがみてとれた。

大変興味深かった。


基本的に男は、女を組伏せ管理し所有しておきたいのだ。


その男性性を持ったS女の存在は、レズビアンやトランスジェンダー(女→男)より不快な存在かもしれない。

SM界でもS女が不愉快な存在なら、なんとも残念なことである。


古い時代、S女は存在すら疑問視されていたらしい。

今はまだ、変わりつつある過程なんだと思う。

いつか更に多様性が進み、女性の多様な存在も認められて欲しいなと切に思う。