「それじゃあ、俺の身体使った自慰だよ」 …これは、過去記事『S女から見た、とあるノーマル男性』での元カレから私が言われた言葉である。 私は彼から性的苦痛も味わったが…、彼の経験上からの鋭い指摘には今も性愛を考える面で思い返すことがある。 元カレは、青少年時代からノーマル性欲が大変強いタイプだったらしい。 実際「性欲溜まるとイライラする」と発言をしていた。 女性でもそんなタイプの方がいるようで、私は淡白だなぁ…と自覚したりする。 男性は、若い時は盛りのついた状態だろうことは察する。 だがその時から、セックスは「ちゃんとしたコミュニケーションなのか?」が、今後の性愛面で重要なポイントかもしれない。 (※性欲が大変強い方だけに当てはまるのかもしれないが) 元カレは「若い時は、ただの排泄…トイレみたいなセックスしてて虚しかった…」と言っていた。 【注】元カレはオジサン。 彼の持つ背景から、「当時、何かの痛みから逃げたかったのかな?」と私は推測したりしたが… 事実『過去、自慰状態のセックスをしていた(も、やっていた)』と彼の発言を解釈している。 フェミニズム用語だと「(女性は)性欲処理器にされている」状態だ。 排泄…性欲処理なだけの自慰的な性交渉。 彼は若い時の自らの経験から、私を観察し記事冒頭の言葉を投げかけたんだろう。 当時を思い返すと、私はそれを否定できない。
実際、難しいな…と感じていた。 『性欲と性交欲は違う』という、大物フェミニスト・上野千鶴子先生の言葉も思い返される。 スキンシップ(ノーマル)は、究極のコミュニケーションと表現される。 それは、SMでも同じだろう。 鞭・蝋燭等も、特殊性愛術の愛撫であって暴力ではない。 技術や相性も重要だといわれるが… 結局のところ『心』が大事といわれる、SMの深さに初心者の私は考えさせられてしまう。 「サービスマゾ男性に甘え過ぎてないか」と、ふと…思ったりする。 ただ、言えるのは… 「単なる欲望の排泄みたいなSMは私はしない」と決めた。 友愛感情感じる方には、相性を相手に合わせても私はプレイ後は充実感でご機嫌でいられることに気づいた。 『SMはコミュニケーション』だということは、多分このことだろう…と今のところ納得している。
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