いつからしているか?というのは、中学時代位からスクールカーストとかを冷静に観察していたように思います。
関東の公立学校に通う庶民の子弟たち(同級生)が、ハイブランド小物で身を飾るのを私はドライに見ていました。
自信をつける…というか、簡単に優越感を得ようとする彼等の心の動きを私は眺めながら感じていた。
今思い返すと、中学生の子たちは思春期の不安定な中で精一杯自分を保つために、防衛のためにやっていた…って優しい気持ちで見れます。
そりゃあ、イジメやら色々ありますから。中学時代はイジメがとにかく起きやすい。
承認欲求に振り回されてるのは大人の個体でも沢山観察出来るんですが…Twitterで見てると、ナンパ師界隈が痛々しい感じである種、長引いた思春期やってる感じがあるなぁ…と思って見ています。
でも私も過去、似ていたことしていたな?と、ハッと気づきました。
私は過去、どんだけガチSMハードプレイ出来るかに執念あったので。
グロいこと出来るほど『強い(無慈悲)S』と言われたりする、カースト構造がSM界隈にはあったりする。
私はそれにのまれていた。
屈辱苦痛…限界にそれなりに近いまでのハード系をやり尽くした後、達成感はありました。
そのハードプレイ内容をSM界隈の人の前で話して、相手にドン引きされるのが何故か勲章だとも思っていた。
なんというか、末期です。
ナンパ師の痛々しさは、私の過去の違う方向に似ている。
過去の自分に似ているので、観察しているとヒリヒリするのでしょう。
ナンパ師たちは美人と寝た数を競い合う。
過去の私は、ハードM男を捕まえてボコボコにするのを、見えない相手に対し競い合っていた。
似すぎています。
私は好きなM男には優しい甘いプレイするタイプですが、単なるハードプレイ武勇伝作りには、情無いM男相手がちょうどよくボコボコにする無慈悲さがあった。
それもまたナンパ師に似ている。
本当に恥ずかしい黒歴史っす。苦笑
SM依存から抜けるキッカケは、性依存症の概念を知ってから…自分に疑問持つようになって卒業するまでになりました。
実践でSMしたことは自分の闇の深さにも気づきましたし、改めて父からのトラウマやロリコン性被害のトラウマに向き合うことにもなったので…意味はあったかな、と思います。
『強いS』を勲章に思うなんて、しょうもなさすぎる。
くだらない自己価値の補償行為してる場合でなく、本当の自己肯定感得るとか、本当の自己実現とかにエネルギー使うべきであった。
まぁ私はアダルトチルドレンですから、長引いた思春期もどきが30前後まであったのは仕方ない気もします。
しかし、本当に黒歴史です。
このブログの古い記事は恥ずかしくて読み返せませんが(ほんの数年前ながら)、今読み返しても別人?誰?って感じですよ。
それだけ成長したと思いたい。
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